ROMANIA
- ルーマニアを旅して -
秋の半ばにさしかかったところ、東欧に行こうと思い立って1週間ルーマニアを旅してきた。ずっと砂漠を旅してきた私にとって、森の国ルーマニアはどんな旅になるだろう。
10月1日 あめ
成田空港からスイス・チューリッヒ空港で乗り継いで18時間かかって夜中の12時にルーマニアの首都ブカレスト・オトペニ空港に到着した。入国検査をパスするとすぐに外になった。ブカレストは冷たい雨が降っていた。タクシーの運転手さんも、「最近はずっとブカレストは雨だよ。」って言ってた。エンジンに問題ありそうなタクシーは、ホテルに到着する20分の間に10回エンストした。なんか先行き不安になったけど、疲れてたので、ホテルの部屋に入ってすぐ寝た。
10月2日 はれ
朝起きると快晴だった。色んなチーズとハムの朝食を食べ、昼近くにホテルを出る。まずは、US$をルーマニア通貨のLei(レイ)に交換するため両替え屋を探す。1US$が約33,000 Leiだった。なんと、ルーマニアのお金はプラスチックでできている。おもちゃかと思った。最高額プラスチック幣は500,000 Leiにもなっていた。
昼食にしようとブカレスト市内をぐるぐる回ったけど、なんだか薬屋ばかりあってレストランが見当たらない。やっと見つけたレストランは、店内の電灯がついてなくて暗かったので最初やってないのかと思った。暗い店内は、さみしいので外のテーブルに座った。豚肉のソテーみたいなのとチーズがけポテトを食べたらおいしかった。街を走る車はDACIA(ダキア)社製が圧倒的に多い。街にはチャウシェスク時代の巨大な建造物が廃虚のように残っている。窓ガラスが割れた廃虚のようなビルが立ち並んでいて、ちょっと気味が悪かった。タクシーの運転手さんに廃虚のビルが見えるたびに「あれは何?」って聞くと「チャウシェスク。」と答える。
さて、これからどこに行こうかなあ?ドナウデルタ、トランシルバニア、モルドヴァ・・・。ブカレスト市内の紅葉した街路樹を見ていたらなんとなく森に行きたくなった。ブカレスト郊外に出ると、トウモロコシ畑が見渡す限りずっと続いていた。ホテルの近くのレストランで夕食。豚のステーキみたいなものを食べた。ちょっと生焼けだったけど、おいしかった。そういうものかもしれない。と、思うことにした。水は炭酸水で、最初は違和感があったけどすぐなれた。あとコーヒーは、ルーマニアのコーヒーが美味しい。粉ごと入っててエスプレッソを少し薄くしたような感じ。
10月3日はれ
今日も快晴だった。タクシーでブラショフに向かった。このタクシ−、エンジンは調子よかったけど運転手が道をよく知らなくて、何度も迷ったりして頼りない感じ。やっと調子にのってきたと思ったらスピード違反で警察に捕まった。移動中、昨日に続いてトウモロコシ畑がたくさんあって、何度か行ったメキシコの風景を思い出した。ブカレストを離れると道路には荷馬車が増えてきた。たいてい荷台に人も2、3人乗ってる。あと自転車が多い。
ブラショフはルーマニア2番目に大きな街なのだが、破壊されたブカレストと違い古い町並みも残っている。坂も多くて、なんかヨーロッパに来たっていう実感がしてきた。古い教会では、結婚式の最中だった。近くの山に登るとブラショフの古い町並みが一望できてとても気分よかった。屋根の色が合わせたように赤茶色してて、まわりの山や森と一体感があってとても綺麗だった。
山間の綺麗なレストランに寄ったら、ドイツ人のオフロードライダーが10人くらい休憩していた。山越
えしてきたらしくバイクも人も泥だらけだった。ちなみにバイクはみんなKTMだった。なんかのクラブだったのかな?でも、陸路で色々な国を巡れるなんて面白そうな気がした。今度はバイクで旅してみたいと本気で思った。
そのレストランの軒先きには、たくさんのトウガラシがつるしてあった。最初はコーヒーだけ飲んでたんだけど、トウガラシのせいかお腹がすいてきたので、ミティティというマトンの肉団子を焼いたようなルーマニア料理を食べてみた。マトンと香辛料の匂いが強かった。まあ、私はそうでもなかったけど、ルーマニアの人は好きでよく食べるらしい。それからママリーガというトウモロコシの粉を熱湯でといたものを食べた。生トウガラシに塩をつけながらかじって食べるのは、とても美味であった。
このあたりの山には、熊や鹿やイノシシがよくいるとのこと。今、このあたりの山は紅葉がきれいで川の水も澄んでいた。川でカワセミを見つけた。日本のカワセミとほとんど同じだった。林の中ではカラ類やキツツキ達がせわしなく飛び回っていた。冬支度なんだろう。
夜は、ホテル近くのフォルクローロの生演奏をしているレストランで豚の胃のスープとママリーガを食べた。豚の胃のスープの中に、サワークリームみたいなものと刻んだニンニクを好みで入れて食べるのだけど、これはとても美味しかった。
10月4日 はれ
シナイアに来た。山間のリゾート地といったところで、さすがにここには観光客も何人かいた。でも、野犬の群れもたくさんいて、途中で乗ってたタクシーが野犬をはねとばした。最悪の気分。まわりの野犬をよく見ると、後ろ足が不自由な犬があちこちにいた。きっと、みんな車にはねられたんだ。
気分転換にルーマニアの昔の王様の城、ペレシュ城とペリショール城に行ってみた。ヨーロッパのお城を生で見るのは初めてだったけど、とても綺麗であった。お城をバックに、山頂に雪をかぶった雄大なカルパチア山脈が見えて、ちょっと離れた所にまた別のお城が見えてて、なんか感動した。お城の大きな時計と自分の腕時計の時間を見くらべていたら、近くの人が、「100年以上止まってるよ。」って笑いながら教えてくれた。
でもなぜだか警察がたくさんいたので、何かあったのか?と思ってウロウロしてたら、護衛つきで来ている中国人の家族がいた。なんだろうこの家族は?しかしこの家族が唯一ルーマニアで見かけた東洋人になった。そういえば、よく町中で通りすがりに「キーナ(中国)!」と呼ばれることがある。でも「ヌー!キーナ、ジャポネーズ。」と言うとたいてい「えっ?」という顔をされる。ルーマニアで中国人はよく思われてないのかもしれない。お城の近くでロマ(ジプシー)のおみやげやさんがあって木の皿を買った。
山間のレストランで、ママリーガとローストチキンみたいなものを食べた。美味しかった。その後、シナイアからプチョアサという古い教会のある小さな町に向かった。このあたりも荷馬車が多い。道ばたでよく、野菜とかスイカとかリンゴとかを農家の人が売ってるので、なんだか食べたくなって途中でリンゴを買った。リンゴはちょっと小さめでおいしかった。
プチョアサのホテルのまわりには、野犬の群れがいてちょっと怖かった。夜も野犬の群れがホテルの近くで吠えてうるさくて、しばらく眠れなかった。
10月5日 はれ
朝、プチョアサを出てトゥルゴヴィシュテに向かった。トゥルゴヴィシュテは昔の首都だったところ。そして、チャウシェスク夫妻が処刑された場所でもある。以外と街は綺麗で、整然としていた。街の中にはドラキュラ(ヴラド串刺し公)の城跡が残っていたので行ってみた。ドラキュラは、トルコ軍を追い返したのでルーマニアの英雄なのだ。ちょとやりかたが残酷だったのでドラキュラの物語りになってしまったらしい。城跡はくずれているのだが、捕まえたトルコ兵を入れていた牢屋が残ってって、牢屋の中にも入れるので捕われたトルコ兵の気分になれるかも。でも、ちょっと怖かった。城跡には、キンダ塔という見張りのタワーがあって中に入れたので、登ってみたらトゥルゴヴィシュテの街が見渡せてとても気分よかった。まわりは森と林に囲まれ、林の中に入ってみるとアオゲラがたくさんいて木々の間を飛び回っていた。ここにはスズメもたくさんいて上半身が白いカラス?も何羽もいた。近くは公園になってて、まん中に大きな池があって釣りをしている人が何人かいた。なんかのんびり過ごせた。
公園の隣に動物園があったので行ってみた。牛とか羊とかロバとかたくさんいて、野良犬までいたのには笑ってしまったけど、ライオンやカバとかも結構いてなかなか面白かった。説明書きは、ルーマニア語なんだけどスペイン語にも近いので、だいたいはわかってよかった。
動物園の人にデパートの場所を教えてもらったので行ってみた。外観は大きいデパートだったけど、中はやってないのかと思うぐらい暗かった。電灯をつけてないのだ。ルーマニアでは、レストランとかもそうだが、昼は電灯をつけないみたいだ。おまけにエスカレータもあるのに動いてなくてエスカレータ型階段になっていた。なんだか中は広いのに物があまりなく暗くてガラガラだった。6階まであるビルだったけど3階までしかやってなかった。ちょっと寂しい気分になった。しかたないので外の小さな店でルーマニアの音楽CDとコーヒーを買った。夜は、ホテル近くのレストランでサルマーレという料理を食べた。ロールキャベツみたいなものだったけど、それとママリーガの組み合わせはとても美味しかった。 ホテルのホールではフォルクローロをずっと演奏していた。
10月6日 くもり
ビショアラという村の農家に大きな豚が3匹いたので、見とれてしまった。ルーマニアに来てから、牛や馬や羊や鶏やあひるはよく見たけど豚は見てなかったのだ。そうしたら農家のおじさんに家に寄っていかないかと誘われた。家の中でツイカというルーマニアの酒を飲ませてくれた。きつい酒だった。食事もしていかないかというお言葉にあまえて、おばさんが作ってくれた鳥と野菜のスープと鶏肉のおじやのようなものをごちそうになった。自家製のワインもいただいた。甘くてジュースみたいでおいしかった。ルーマニアにいた中で一番おいしい食事だった。外には、さっき飲んだワインのぶどうの木があって、これでワインを作ったって教えてくれた。ニワトリとアヒルがたくさんいたので、ニワトリを指して「さっき、これを食べたのか?」って聞くと、「あっちの白いのを食べたんだよ。」って言われた。あっちってアヒルだったんか〜。
そのうち、めずらしい東洋人を見つけたらしき近所の人もやってきて色々話をした。日本にはキリスト教会はあるのか?とか、仏陀の国なのにクリスマスは何かするのか?とか質問攻めになった。でも日本のクリスマスがどうしても理解できないらしくみんな興味しんしんだった。私は答えに困ったので、「日本では、ケーキを食べる日だ。」と答えておいたけど、まあ間違いじゃあないでしょ。私もブカレストで見た廃虚のようなビルのことを聞くと、タクシ−の運転手の人が言ってたように「あれは、チャウチェスクだ。」と言っていた。また、現在のルーマニアには仕事がなくて、チャウチェスク時代の悪政が終わってもなかなか良くならないと言っていた。おまけに社会主義政権が終わってからさらに経済が悪化したんじゃないかとぼやいていた。だから、若い人達は外国語をおぼえて、イタリアやフランスなどに働きに出るんだと言っていた。
たしかに、そのままになってるあの廃虚の建物やプラスチックのお金を考えると経済状態は悪いんだろうと思う。でも、この国で出会った人達の心は暖かくで優しい人が多かった。別れるとき、おじさんとおばさんはずっと手を振って見送ってくれた。
夜になると雨になった。最初にブカレストに着いたときと同じ冷たい雨が降っていた。ホテルではフォルクローロの悲しい旋律がいつまでも流れていた。
私はルーマニアを後にしたとき、なぜかせつなさと寂しさで胸がいっぱいになった。
ルーマニアは、経済的にまだ問題もあって、観光はまだまだなのかもしれない。
でも、ルーマニアはそのままの自然が残る素朴で優しい人達の国なのだと思った。